第2期F1参戦を機に「世界に通用するHondaの顔を持ちたい」との願いから開発された車であり[2]、バブル景気絶頂期の1989年に発表され、翌1990年から2005年までの15年間の長きにわたってフルモデルチェンジを行うことなく製造され、2006年まで販売がなされた。価格は販売当初は1グレードのみの800万円(AT仕様は60万円高)で、当時の国産乗用車の中では最高額だった。その後、改良や装備の追加
等により徐々に値上がりし、900万-1,300万円台となっていった。なお販売した15年間は当時のスポーツカーの新車価格では日本車最高額だった。
エンジンは、FFセダンに搭載していた横置きV6をベースにしたC30A型 V6 DOHCVTECNA
3.0Lで、運転席後方に搭載し後輪を駆動するミッドシップエンジン・リアドライブ(MR)を採用している。
また、当時 市販自動車として類を見ない「オールアルミモノコック・ボディー」を採用した。その特殊性から、大工場での産業用ロボットによる流れ作業製作ではなく、殆どを手作業で行っていた。
このような特色と価格帯から、日本車で唯一のスーパーカーとも評された。
日本国外ではホンダブランドの他、北米ではホンダの高級車チャンネルのアキュラブランドから、日本名と同じ「NSX」の名前で販売された。