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        【フォルクスワーゲン】


              

               【タイプⅡ】




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1950年タイプ1(ビートル)をベースとするリアエンジン・リアドライブの汎用自動車として登場した。
このモデルが考案されたのは、タイプ1の初めての輸出となったオランダ輸出(1947年)の際の仲介業者であったオランダ人ディーラー、ベン・ポン(en:Ben Pon (senior) 1904-1968)が、ヴォルフスブルクのVW工場を視察に訪れた際の知見がきっかけである。
工場内では部品輸送用として、タイプ1の裸のプラットフォームシャーシをベースに、リアのエンジン上にドライバーズシートを設置し、車体前方をまるまる貨物搭載スペースとした特殊トランスポーターが、工場スタッフの手で製作され、使用されていた。
ベン・ポンはこの便利なキャリアカーをみてアイデアに感心したが、そこから、タイプ1のフラットなシャーシ構造を活かせば、スペース効率に優れたキャブオーバー型の汎用ボディを架装できるのではないか、というユニークな着想を得たのである。
タイプ1のシャーシは、第二次世界大戦中に設計者フェルディナント・ポルシェの手で軍用万能車キューベルワーゲン、軍用水陸両用車シュビムワーゲンとして利用され、戦地で用いられた実績もあり、一方ではスポーツカーのポルシェ・356のベースにもなったほどで、アレンジのポテンシャルは高かった。
タイプ1のシャーシにキャブオーバー・ワンボックス型バンボディを重ねた、実に簡単なフリーハンドのスケッチがポンのルーズリーフに記されたのは、1947年4月23日のことであった(この記念すべきスケッチは60年以上を経た21世紀初頭でも保存されている)。
ポンは自動車販売業界でこそ、当時既に約20年のキャリアを持っていたが、その素性はあくまで一輸入ディーラーである。自動車エンジニアでもデザイナーでもない人物のささやかなスケッチから後世に残る名車が生まれた実例としては、後に「ジープ」となったアメリカ陸軍の軍用車発注仕様書(1940年7月)に添えられた、担当士官のフリーハンドになる下手な概略図と並び、希な事例であろう。
ポンはほどなく、VWの経営責任者となっていたハインリッヒ・ノルトホフに、自らの新しいアイデアを提案した。ノルトホフも、あくまで乗用車としての用途に限られるタイプ1だけの生産では、VWの発展に限界が生ずることを考慮し、ポンの提言に同意した。ノルトホフは戦前、ドイツ最大の自動車会社であったオペルの幹部であり、広い車種展開の重要性を理解していたのである。こうして開発されたのがタイプ2で、プロトタイプは1949年に完成した。
レイアウトはポンの基本アイデアを踏襲して具現化したもので、タイプ1のシャーシをベースにしつつも、荷重に対処してシャーシを補強し、トーションバースプリングの荷重レートも上げた。後輪は、ロードクリアランスを高める必要と、タイプ1よりも低速からの力が要求されることを配慮して、キューベルワーゲンなど軍用車で用いられた実績のある、リア・ハブ内に減速ギアを組み込んだリダクション・ハブを採用している。
このシャーシにスペース効率に優れた全鋼製のフル・キャブオーバー型(フォワード・コントロール型)バンボディを架装した。全長はタイプ1と大差ないが、通常でも3列のシートを配置可能な広さがあった。後部背面はエンジンルームへのドアに占拠されてラゲッジスペースへのアクセスには利用できなかった(その代わり、エンジンの整備性は良好だった。のちエンジン補機類の全高低下でエンジンルームの高さを縮小)が、側面に広いドアを配置することで、弱点を補っている。シフトレバーはフロアシフトであった。
重さと空気抵抗と低速型ギア比のため、最高速度はタイプ1よりも下がり、初期形ではタイプ1より10%以上も低い90km/hが精一杯であったが、用途から言えばさしたる問題ではなく、またこの最高速度を保って巡航できる美点はタイプ1と同じであった。乗用車であるタイプ1をメカニズムのベースにしているために、商用車としては乗り心地にも優れていた。
エンジンはタイプ1同様に空冷水平対向4気筒OHVを搭載した。当初1200ccで最高出力は25ps(19kw)だったが、後に1200cc系は40ps(25kw)まで向上しており、1962年には1500ccも追加された。ドライブトレーンはタイプ1と多くを共通化したものの、用途上、強い出力が要求されるだけに、強力型エンジンの搭載ではタイプ1よりも先行することが多かった。
発売されると、極めて丈夫で扱いやすく、小型だが汎用性が高いことから、ドイツをはじめとする欧州の市場で大好評となり、アメリカ市場でも便利なミニ・トランスポーターとしてヒット作となった。この結果、フォルクスワーゲンは「乗用車のタイプ1」と「マルチパーパスカーのタイプ2」の二本立て戦略で販路を広げることが可能になり、その後の同社の隆盛に大きく寄与することになった。
バンタイプ、小型バスタイプ、オープンデッキのトラックタイプなどが多様に展開され、バリエーションには救急車型まで出現した。日本では1953年ヤナセが輸入を開始している。
ドイツでの製造は1967年に終了したが、1953年から生産が行われていたブラジル法人の「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」では、T2が導入される1975年まで製造されていた。
日本では、実車を所有することが困難なために、軽ワンボックスカートヨタ・ハイエースの前面をT1風にアレンジした「タイプ2もどき」カスタムカーも多数存在する。

       


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