【シボレー】
【コルベット】(楽天オート)
初代 C1型(1954年-1962年)
2代目 C2型(1963年-1967年)
3代目 C3型(1968年-1982年)
4代目 C4型(1984年-1996年)
5代目 C5型(1997年-2004年)
6代目 C6型(2005年-)
GMのデザイン部門の初代副社長を後に務めることになる、もともとスポーツカー好きだったハーリー・アールが第二次大戦後の自動車競技における英国製・ヨーロッパ製スポーツカー(大戦後、アメリカ軍軍人たちが祖国に持ち帰ったMG、ジャガー、アルファ・ロメオなど)に感化され、GMはスポーツカーを製造する必要があると決意したことが、誕生につながることとなった。コルベットよりも先だつこと 1951年ナッシュ・モーターズが、イタリアのデザイナー、ピニンファリーナと英国のエンジニア、ドナルド・ハーレーのパートナーシップのもと、高価な2シータースポーツカー、ナッシュ・ハーレーの販売を始めたが、ほとんど価格の高いモデルばかりだった。アールの構想は、まず“プロジェクト・オペル”として非公式に秘密裏でスタートした。アールは、最初に当時シボレーディビジョンのゼネラルマネージャーを務めていたエド・コールにプロジェクトを提案した。コールはためらうことなく、この提案を受け入れた。1951年後半、アールとスペシャルプロジェクトのクルーは、作業にとりかかり、その車が1953年にシボレー・コルベットとして陽の目を浴びることとなったのである。
2シーターカーとして、ほぼ同時期誕生したフォード・サンダーバードと同じく、それまでの量産型米国車にあまり見られなかった小型軽量のボディーに適度のパワーを持ったエンジンを搭載し、当時憧憬の的であったオープンエアモータリングを楽しめるアメリカンプレステージスポーツカーとして誕生し、本来大衆車製造部門のポジションであったシボレーで、その後誕生するシボレー・カマロとともに数々のレースシーンに積極的に関与することでブランドの華やかさ・先進性・技術力・優秀性をアピールする役割を果たすこととなった。
当初は、欧州のライトウェイトスポーツカーをベンチマークにしていた関係でコルベットもそれらと共通した性格を基本とするかに見えたが、当時米国では新世代のV8エンジンの勃興期と重なっていて、マーケットからの要望を背景に毎年毎年ほとんどどの車種でエンジンパワーが、増大していく傾向にあり、コルベットもそのトレンドを積極的に取り入れる方向で発展していくこととなった。このためシボレーコルベットは、はやばやと路線修正され、やがてGMないし米国内でもっとも強力なエンジンを搭載可能な、走行性能の優れた小型プレステージ2シーターカーという路線に乗ることとなった。
基本的なデザインは、一部を除きオープンエアモータリング可能でロングノーズショートデッキの小型軽量2シーターカーだが、アメリカ車らしく、ごく初期のわずかな期間を除き軽量コンパクトかつ高出力のV8エンジンをフロントに積み、V8エンジン特有のパワーを後輪に伝える、典型的なフロントエンジン・リアドライブを現代に至るまで貫き通している。また、時代に合わせて頻繁にアップデートが施され、時には外観のみならず、車の性格を激しく変えるほどのモデルチェンジが果たされたことも珍しくない。一方でタフでパワフルなアメリカンV8エンジンによる余剰馬力の大きさを持ち味として、一時期高性能DOHCエンジンを採用したことがあったものの、最新型においてもコンベンショナルなV8大排気量OHVエンジンを採用し、出足の良さと余裕の走りがコルベットのアイディンティティとなっている。
コルベットは、その基本性能の優秀さから初代C1型コルベットの時代から様々なレーシング仕様が製作され、数多い功績を挙げた。ワークスでのレース活動を休止していた時期もあるが、その間を埋めるようにプライベーターによる参戦も盛んに行われた。
現在、欧州ではシボレーのブランド名が落とされて、単にコルベットとして販売されているが、シボレーブランドのフラッグシップモデルであることには変わりはない。なお、日本への輸入はGMアジア・パシフィック・ジャパン (GMAPJ)
によって行われており、販売店の関係で日本でも単に「GM・コルベット」として販売されていた時期があった。車検証の車名欄およびJAIA(日本自動車輸入組合)の輸入車登録台数の統計では「シボレー」となっている。
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